「私はケンカっ早いため、これまでいろいろな人たちとケンカをしましたが、長年のケンカ相手のひとつが林野庁です。」
これはC・W・ニコルの名言ですが、皆様G・Wはいかがお過ごしだったでしょうか?
私は少し仕事があり6日に少し遠出をしたくらいですが、連休最後の日にも関わらず人がたくさん。連休に遊びに行くのは相当体力使うので今ごろへとへとの方も多いのでは…!?
そんなへとへとの皆様。ご自宅でごろっとなりながらテレビ鑑賞などいかがですか!?特に12CHはおすすめですよ!
なかでもうちの番組はおすすめ!
家に居ながらにして外出した気分になれる画期的な企画「MyTown空中さんぽ」を放送中。
パワードパラグライダーの西村さんが今回は宇部市を飛行!
宇部は空港があるためなかなか自由に飛べないそうですが、そこは西村さんの話術で空港側を説き伏せ、このたびの企画の実現に至ったそう。
せっかく飛ぶのだからと、今回は宇部市の体育協会さんのお仕事と一緒。片手に体育協会さん用の静止画カメラ・ひざにはウチ用の動画カメラを括り付けテイクオフ!
ワンフライトで二つの仕事を行う西村さんのやり手ぶりが垣間見えたのでございます。
宇部マテ”フレッセラ”テニスコート
宇部市中心部・松山一交差点付近
ユーピーアールスタジアム
恩田陸上競技場
宇部市の体育施設が中心ですが、特に野球場の空撮は大好きでした!!また地上の藤田美登里カメラマンのリポートも楽しかったです。ぜひご覧くださいませ!!
ディレクター 松田大輔
こんにちは。特に書くことはないのですが、まあどうにかなるやろうと書き始めることにします。
今週の放送は山田家本屋(周南)と長者ヶ森(美祢)にスポットを当てています。どちらも過去の偉い人の家という共通点がありました。
山田家本屋というのは毛利家の家臣で湯野をおさめた堅田家の家臣、山田氏の屋敷とのこと。
歴史の教科書に載らない人物ですが、そういう人たちの力で今日があることを忘れてはなりません。
よくタイムスリップもののドラマで織田信長の料理人をすることになったとか、坂本竜馬のけがを治療することになったとかいう話がありますが、おそらくタイムスリップしたとしても、そのような当時のトップの人物にそうやすやすと会うことはできないでしょう。うまくいったとしても毛利氏の家臣の家臣の山田さんくらいがせいぜいではないでしょうか。
例えばもし僕がタイムスリップしたら、タイムスリップした近くの家の住民に発見されるでしょう。
まずはその住民に好感をもっていただかなくてはならないので、未来から来た人間としての知識や技術を披露しないといけません。
たまたま取材中にタイムスリップにあったとして、カメラと一緒に過去にいけたなら、そこで映像を撮って見せて「なんと不思議な黒い箱じゃ」となり、住民の方に喜んでもらえるかもしれません。しかし「不思議な妖術をつかいおる」となればそこで捕えられておしまい。なんとか住民の懐に潜り込むためにいろいろな親切や手伝いを買って出て信用を築かなくてはなりません。
幾度もの村人との交流によって信頼関係を築くことに成功し、なんならその村の村長の娘あたりと恋におち、娘から村長さんに取り入ってもらう形で、どうにかこうにか村に溶け込んだところでようやく届け出によって、山田氏の耳に入り、「ちょっと呼んで参れ!」となることでしょう。
ここまででどうでしょうか。これは対人関係のうまさにもよりますが少なくとも半年、下手すると数年かかるやもしれません。
そしてようやく村長さんらから着物を仕立ててもらい、万全の態勢で山田さんの屋敷へ行き、山田氏に「未来から来ました」と申し奉るのです。しかしながら山田さんの度量によりますが「こやつおかしい」となったら、そこで切られておしまい。
少し興味を持っていただくことになれば「その黒い箱で奇術をみせい」となり、カメラを回すのです。
仮に山田さんに喜んでいただけた場合、ここからは話は割とスムーズにすすむかもしれません。山田さんの発言力はきっと村人のそれとはくらべものにならないほど大きいからです。
次は山田さんの上司の堅田さんに「奇術」を見せることになります。山田さんのおかげでさすがに浮浪者あつかいはされず、このころになれば髪も伸び、ちょんまげのひとつも結えるようになっているので見た目はもう当時の人と遜色なくなっているのです。
無事に堅田氏に喜んでもらうことに成功し、ようやく毛利のお殿様に披露させてもらうことになりました。期日は1か月後、毛利の殿様が参勤交代で江戸からの帰り道に湯野に立ち寄られる時と決まりました。その時に殿様の一行が山田家の屋敷に立ち寄るのでお披露目の時間を少しもらえることになったのです。
毛利の殿様にお会いできることになった私は家に帰り、ささやかな宴を開くことになります。村長の娘から「お疲れ様」とお酒を注がれ、その父からは「わが村の誇りじゃ。」とさらには「娘の婿になってくれんか」と懇願され、お殿様との会合後に祝言をあげることになりました。娘の頬は少し赤くなり少し下を向くのです。
幸せな時間はあっというまに過ぎ、いよいよ当日。披露するのは山田家の茶室で行われることになりました。たくさんの家臣団を従え、刀を預けた毛利さんとその直参の部下数人が上座にすわりました。
とうとうその時が来たのです。タイムスリップしてここまでに数年。すでに大切な人も友人もでき、私はこの時代で生きていくことを決心していました。そして苦労が報われ、当時の最高の権力者、毛利の殿様に拝謁するところまでやってきたのです。
いろいろな思いが頭の中を交錯する中、レンズを殿様に向け、RECの赤いボタンを押したその時、事件は起こったのです。
カメラが動かないのです。私の人差し指は、何度も何度も赤いボタンを突きますが、一向にカメラは起動しません。
…そう、カメラのバッテリーが切れたのです。ここまで何度も何度も「奇術」を披露してきた、カメラのバッテリーはもう限界だったのです。
何度もスイッチを押したりしているうちに「どうしたのじゃ」としびれをきらした殿様の部下が言い出します。堅田さんも自分が進言した手前「早く奇術を見せぃ」とせかします。しかしカメラは動きません。
このままでは私は稀代のペテン師になってしまいます。山田さんにも堅田さんにも迷惑がかかってしまいます。家では村長の娘が僕の帰りを待っています。
私はもう引き返せないところに来ていたのです。
動かなくなったカメラを左手に抱え、私は最後の賭けに出ます。
素早く身をかがめ、茶室の刀隠しの引き出しをあけ、右手で刀を取り出し、サッと殿様の背後から刀を首元に当てました。
「殿様を殺されたくなければ下がれ」
まさかの乱心に戸惑う家臣をかき分け、殿様を人質に私は村へ戻り、彼女を引き連れ港へ向かいます。
私の行動に戸惑いながらも意を決し、村長の娘もついてきてくれました。
そう、彼女のおなかには私の子供がいたのです。
港までやってきた私は、殿様を使って、脅しながら一隻の船と船頭を手に入れます。船が岸を離れ弓が届かなくなったのを見計らって、殿様を解放します。
「すみません。お殿様。本当はこのカメラは動くのです。ただし今はバッテリーなる部品が底をついてしまい、殿様に奇術をお見せすることができませぬ。」
殿様は落ち着きを取り戻し、さらに私の話を聞きます。
「時間をください。きっとカメラのバッテリーを元に戻し、カメラを映して差し上げます。ですのでしばし暇を戴きます。」
殿様は私の目を見ながら「わかった」と一言。
浮き輪とともに殿様を海に落とし、私は船頭にこう申すのです。
「おい!船頭!とりあえず南アメリカのボリビアへ行ってくれ!!」
そう、ボリビアはバッテリーの原料のリチウムの世界一の産出量を誇っている国なのです。
…一層の船は、徳山から瀬戸内海を飛び出し、太平洋へ舵を漕ぐのです。
カメラのバッテリーを手に入れるために。 (続)
…山田家本屋。刀隠しの引き出しや、隠し部屋の存在が、ロマンを掻き立てます。
http://www.city.shunan.lg.jp/section/ed-sports/ed-shogai-bunka/bunkazai/yamadake.html
書くこと決めずに書きはじめるとこのありさまです。
ディレクター 松田大輔
昨日は12chは山口市の将来を託す市議会議員選挙の速報番組でした。
私の仕事は大内長野のリフレッシュパークに詰めて、開票結果をいち早く本社に知らせる係でした。
その体育館での光景はあまり見ることもできない驚きの連続でした。
まず、投票用紙を読み込む機械。
機械に漢字とひらがなをインプットさせて手書きの用紙が誰に投票されたのか判別し、新聞の輪転機の要領で分類されていきます。
機械で読み取れないのものは、人間が判別し仕分けし、また誤字などがあればそれを一票とするかどうかを、何人かでチェックをします。
何重ものチェックの上で開票作業は進みます。
そして、つみあがった投票用紙をバードウォッチングよろしく双眼鏡でのぞきこむ関係者さんたち。
ぼくなんて親しい知人に候補者がいないもんですから、結果は「明日の新聞見ればいいわ」くらいの感覚ですが、やはり当事者は一秒でも早く結果を知りたいわけです。
200ずつ束ねられた用紙が積みかさねられ、その高さを遠くから確認し、用紙に鉛筆でチェックし当落の目安を図ります。そんでそれを誰かに携帯で電話しています。
開票作業にあたる職員さんも的確に分担作業をこなしておいででした。
よくはわかりませんが確認をする人、数える人、機械を操作する人、マスコミ対応の人、それはそれはてきぱきと自分の仕事をこなしておいででした。
綿密なリハーサルのたまものなのか、これまでに何度も積み重ねた経験からくるものなのか、体育館の2階から見るとその動きがよくわかります。
このような縁の下の力持ちのおかげで選挙はスムーズにかつ公平に進行し、だからこそ候補者もしっかりと責任を持ち自分の理想を掲げないといけません。
それを私たち市民が冷静な目で、誰ならば山口市を任せられるのかを選び、一票を投じるのです。
ああ、それが選挙だったのですね。
このようなことは、昔、社会の授業や公民の授業で習って知ったつもりでいましたが、実際の様子を見ないとわかりません。
候補者はもちろん、支援者、開票作業の人、選挙に携わるいろんな立場の人たちがあんなに本気なら、投票日に家でゴロンとなんてできないわけです。
ああいう場所を大学生なんかの社会見学の場所にしたら、若者の投票率低下に歯止めがかかるのでは!?と一瞬思ったのですが、やっぱ難しいかな…。
僕も大学生の時そんな場所より、かわいい女の子とドライブしたり、お酒飲んだりしたり、カラオケ行ったりしたかったもの。
まあ、開票所に面白さを感じ始めたのは、僕がおじさんになったからなのでしょう。
ただあの場所で間違いなく山口市の歴史が動いているのです。
自分より若い人にあのリアルと生々しさを肌で体験してもらうことができれば、政治や地方に関心をもった若者が増え、新しい発想が生まれるかっこいい山口市になる気がするのですが…。
…って、こんな風なこと言う人を大学生の僕は「おっさん」と言ってバカにしていたのですが、まさか「おっさん」になってはじめて「おっさん」の言っていたことが分かるなんて。「おっさん」の連鎖。
さあ話は変わり、社会見学に行く間もない学生・その他山口県民の皆様。
家に居ながらにして県内の隠れた名所を知れる風景印220景の時間ですよ。
最近は1回に一つの郵便局しか放送できませんでしたが、今週は久しぶりの2局訪問です。
徳山一番町郵便局と大田郵便局訪問!
徳山一番町ではなぜか湯野温泉へ移動することに!
大田では競艇好きのどさけんさんが、美祢出身の「今村豊」と予想!
それぞれの風景印には何が描かれているのか!?
お楽しみに!!
おっさんディレクター 松田大輔
今週の放送は俵山郵便局の後編をお届けしています。
案内してくださるのは先週に引き続き俵山知っちょる会の宮野さん。
宮野さんは声が素敵です。
宮野さんの言葉をテロップにするときにどんなフォント(字体)がいいのか、いろいろと試しましたが「勘亭流」が一番ピッタリでした。
※勘亭流というのは歌舞伎の題目とか演者とかを記すときに使われる字体です。
勘亭流がぴったりの宮野さんの案内で温泉街を歩き、温泉に入り、まんじゅうを食べます。
どさけんさんが入ったのは某番組で安倍首相とやしきたかじんさんが入ったあの露天風呂。
なんだかご利益がありそうです!!
そしてご利益といえば、私とどさけんさんがそれぞれの願いを胸に俵山のあの観音様へお祈りに参ります。
少し恥ずかしい映像になっていますが、由緒も歴史もある観音様なのです。
子供と恋人がそれぞれできますように!!
またあさって詳しいお話を書きまーす!!
明日はロケで下関の彦島へ向かいます!!晴れたらいいな。
ディレクター 松田大輔
暖かくなってきましたね!とても気持ちよく最近は自転車通勤に切り替えました。
ゆっくりとしたスピードで自転車を走らせると、新しいお店ができたとか、こんなところに面白い看板があるとかいろいろな発見があるんです。
それが楽しみで毎日違う道で通勤しています。
さあ、そんな気持ちの良い季節に家にいたのではもったいない!
現在この番組で放送している俵山温泉ですが、なんとこの19・20日とお祭りが開かれるそうです。
http://www.nanavi.jp/page/detail.php?id=179
大雨の3月に取材し滝が泥水だった映像を放送するくらいなら、そのお祭りの取材をしなさいよ!!という声が上がるかと存じますが…。
この季節、お天気も良いし、風景印にあったつつじもきっときれいなのではないでしょうか!?
近場では長谷川さんが山口市の後河原郵便局で開催中のミニ切手展にも足を運んでくださいませ!!
★切手週間ミニ切手展(~4月25日まで 9:00~17:00)
ディレクター 松田大輔
先週は小保方さんのことばかりを考えていました。
ノートを4~5冊持ってるとお答えで、それが多いとか少ないとかって話が上がってましたが、あまりそのノートの中身について触れられていませんでした。
僕はノートの「厚み」を語らずしてノートの「冊数」を語っても意味がないのではと思ったのです。
そんなことを考えているうち、風景印220景の長谷川さんのことを思い出しました。
長谷川さんは趣味で新聞の天気図の切り抜きを集めていますが、集めているのはたったの4冊のスクラッチブックなんです。
たったの4冊なんですが、な、な、なんと、1冊に10年分の新聞の天気図の切り抜きが貼ってあるのです。
10年分ですよ!3650日分の天気図が貼ってある濃縮度。しかもそれが4冊。
40年分の天気図がノート4冊にわたり貼り付けられているのです!!
見せていただいたときトリハダもんでした。
中学2年のころから初めていま55歳。奥様よりも長い付き合いなのです。
長谷川さんがもしもこの時間を細胞のことにつぎ込んでいたら、きっとSTAP細胞の二つ三つは見つけていたことでしょう。
その長谷川さんのもう一つの趣味、切手・消印収集について、今週の放送では時間を割きました。
ロケをした2月18日に山口湯田郵便局で使用が始まった特別な消印「小型印」をご紹介しています。

かっこいいですよね。中原中也がデザインされた消印です。中原中也記念館のオープン20周年を記念したものです。
手紙を出す機会がある方はちょっとの手間で相手に喜んでいただけるのではないでしょうか?
そしてもう一つ、現在山口市後河原郵便局では毎年恒例の長谷川さんによる切手展が開催中です。
「切手趣味週間長谷川一夫切手展」
今年は長谷川さんが集めた風景印を約130種類展示してあります。
4月14日から25日(金)の9時から17時。
風景印の展示に合わせて、当番組のDVDも繰り返し流しています。ぜひとも皆様に置きましては足を運んでいただけたらと思います!!
左側の風景印のリストが更新されています!お時間ある方はご覧くださいませ!!
ディレクター 松田大輔
今でも言うんでしょうか?花金って。
ずいぶん昔はなきんデータランドってのがあったなぁと思い立っていろんなデータを拾ってきました。
するとこんなのがありましたのでご紹介。
★人口1000人あたりの山本さんの人数 山口県1位(20.27人)
!!!!!
さらに!!
★人口1000人あたりの中村さんの人数 山口県1位(15.37人)
!!!!!
山口県は山本さんと中村さんの割合が日本一多いそうです。
ふりかえってみるとクラスに絶対、山本君(さん)、中村君(さん)いました!!!
そうだったんだぁ~!!と膝をうった花金の朝。
クラスに何人も山本とか中村がいるから、かなりの確率でその人たちは下の名前で呼ばれるようになるんですよね。
「ヤスオ!久しぶり!」「おはよう!チエリさん!!」
(僕のまわりには山本ヤスオくんと中村チエリさんがいます。)
例えば「武者小路ヤスオ」とか「源五郎丸チエリ」とか苗字が珍しかったら苗字が呼び名になりますものね。
「ムシャオ!久しぶり!」とか「おはよう源五郎丸!」とか。
ということは下の名前でよばれる確率が高い山本さんや中村さんは、お子さんにあまり人気の高い名前を付けないほうがベターですよね。
昨年、男の子には悠真、女の子には結菜という名前が一番多くつけられたそうですが、これらの名前はまた学年に何人もいる確率が高い。
ということは「山本悠真くん」や「中村結菜ちゃん」だと、山口県の学校では彼ら彼女らをなんと呼べばよいのか、学級会を開かなくてはならない事態になります。
山本さんや中村さんはほかの人以上にしっかり子供の名前を考えないといけない宿命をもっていることになります。
がんばれ!山本!!まけるな!中村!
あと、当然考えられるの山本家同士や中村家同士の結婚式です。
山本の割合が日本一だと、山本くんと山本さんが恋に落ちる可能性も日本一高いということです。
そして、2人の山本が恋に落ちて結婚となると、奥さんは苗字の変更をしなくていいのでラクですが、席次表が山本ばかりになりビールつぎにいくとき大混乱します。
あとウエディングプランナーや、司会者が山本である確率も日本一高いのですから、式が山本さんに乗っ取られるる確率も日本一高いのです。
・・・・・。
書きながら落としどころを探しておりましたが、見つかりませんでしたので、この意味のないブログを終わらせようと思います。
今日は花金、夜は歓迎会なんです。(山本さんは0人。中村さんは2人が出席予定。)
ディレクター 松田(山口県36位)大輔(1979年生、男の子部門1位)
今週の放送で私の祖母の写真を載せました。
少々公私混同がすぎるかと迷いましたが、回天記念館を訪れて、自分が一番初めに思ったのが回天の搭乗員の方と同世代のおばあちゃんだったので勝手ながら載せさせていただきました。
一度載せてしまえば二度目もいいだろうということで、今度はブログにも載せます。
ドン!

今日はおばあちゃんについて書きますね。なんかすみません。
これは先月、萩の椿まつりに行った時に撮った写真なのですが、おばあちゃんは91歳で今もとても元気です。
その元気の秘訣は何かと考えるとぼくは「上品さ」ではなかろうかと思ったのでした。
もともと祖母は僕のようなガサツな人間とは異なり、立居振舞に気品というか上品なところがある人です。
91歳の今でも口に手を当てて笑いますし、洋服にも気を使います。
お礼の電話もまめにしますし、ご飯が多くて食べれないときは、僕に箸をつけていない部分を「食べてくれない?」と渡します。
僕が小さいころは、「”おなら”したくなったらトイレ行きなさい」と注意されました。
そんな上品なおばあちゃんが帰りの車でサイダーを飲みたいというので缶のサイダーを買って渡しました。
なんでも「最近サイダーが好き」なのだそうです。
しばらくして、ふと、おばあちゃんを見るとと何とも変わった飲み方をしているのが気になりました。
おばあちゃんは口が小さいので少しずつ飲むんですが、一口飲むごとに缶のプルタブを逆方向に戻すのです。

一口飲むとこのようにして、車のドリンクホルダーに置き、また飲むときはまたプルタブを起こして、また一口飲むのです。
なんでこんなことするのか帰りの車でずーっと考えました。
そんで佐々並くらいまで来た頃、一つの結論にたどり着きました。
おばあちゃんは「私が口つけたサイダーですよ」「今は飲む気はないけどまた飲みます」のサインをだしていたのではなかろうかと。
同乗者は僕一人なので、僕がおばあちゃんのサイダーを間違って飲むことはないんですが、おばあちゃんのいつも心がけている礼儀作法がでたのでしょう。
なんだかかわいらしくなっちゃって、おばあちゃんがサイダーを飲むのを眺めながら幸せな日曜日を過ごしました。って言う話。
※ちなみにサイダーの缶、最終的にはこうなりました。

あれから、「サイダー飲まないときはプルタブを戻す」って何かの礼儀作法にあったっけ?と調べてもでてきません。
おばあちゃん流の上品なサイダーの飲み方、こんど何でプルタブ戻すのか本人に聞いてみようと思います。
ディレクター 松田大輔
最近プッシュ中の風景印220景では出演者にそれぞれ、かっこいい肩書がついております。
「よしもと興業山口県住みます芸人」のどさけんさん。
「風景印アドバイザー」の長谷川一夫さん。
もはや何の違和感も感じないハマり具合になってきました。
ちなみに、僕の肩書は「山口ケーブルビジョン 制作営業局 ディレクター」です。
「アシスタントディレクター」だった辛い時期がありましたので「ディレクター」という肩書になったとき超うれしかったのを覚えています。
そんな「ディレクター」の僕ですが、実は今、ひとつ憧れている肩書ができました。
それは「ユニットリーダー」です。
ええ。いろんな物議をかもしているあの方の肩書です。
正しくは「研究ユニットリーダー」、文字数によっては「リーダー」と略されていますが、やっぱり「ユニットリーダー」ってのがかっこいいです。
まあ、あのねつ造うんぬんの問題自体は僕には難しすぎてよくわからないので言及を控えますが、とりあえずあの肩書はかっこいいとずっと感じていました。
「松田ユニットリーダー!」
誰かからそういわれるのを想像すると、ついニヤついてしまいます。ああ、誰か呼んでくれないかな。どっかにユニットいないかな。
「ユニットバス」がトイレと風呂をまとめているように「ユニット」というのは複数のものを束ねるという意味だと理解しています。
そんな「ユニット」をリードするわけですから、そりゃあ並大抵の人間が名乗れる肩書ではないのです。
その統率力たるや、いかばかりか!!
こういう肩書があるなら世の偉人たちも改めてそう呼んであげたらいかがかと思いました。
「★織田信長ユニットリーダー」
柴田勝家・丹羽長秀・秀吉・光秀らそうそうたる武将の軍団を束ねていた信長にはぴったりの肩書です。
「★萩本欽一ユニットリーダー」
コサキン以下、野球団までも束ねた彼には「大将」よりユニットリーダーがお似合いでは!?ちなみにこのユニットリーダーは下ネタ禁止だそうです。
「★肥後克弘ユニットリ-ダー」
これまではただの「リーダー」でしたが、上島さんもジモンさんもそれぞれにユニットを持っているのでそれらを束ねる肥後さんはもう立派なユニットリーダーですよね。
…いやはや、ぼくも何かしらのユニットをリードしてみたい。
いや、別にリードしないまでも「松田ユニットリーダー」と呼ばれたい。
しかし、弊社にはそんなユニットなどウチには存在するわけもないので、とりあえず言うことをきいてくれそうな身内からせめよう。
まずは、今日家に帰ったら奥さんに頼んで「松田ユニットリーダー!」って呼んでもらおう。
そのあとは小6と小4と小1になった甥っ子と姪っ子に「ねぇ、いいじゃん!呼んでよ!」って言おう。
しかしあまり下から頼むとユニットリーダーの威信にかかわるので『あれやったら「松田ユニットリーダー」って呼んでみてもええよ。』くらいの感じで頼もう。
なめられたらいけん!
ユニットリーダーには苦労が絶えないのです。
ユニットリーダー 松田大輔
今週はいつもと少し雰囲気が違う放送になっています。なりました。

周南市の離島・大津島へ行き、戦時中に使用された回天の記念館と発射訓練基地の跡を見学しました。
真面目に遊ぼうと心がけている風景印のロケも、ただただ真剣にならざるを得ませんでした。
20代前半の遊びたい盛りの時代、1mしかない鉄の筒に一人で入り、暗い海の中、敵艦めがけて突撃し、散って行った若者が大津島にいました。
記念館にはそんな若者の書いた遺書や手紙が展示してありました。
…なんと言ったらよいのでしょう。
回天関係者の遺影が壁一面に飾ってありました。平均年齢は21歳だったそうです。
自分で志願したとはいえ、自分の出撃の日まであと何日、何時間。
少しずつ減っていく突撃までの時間をどんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。
自分が今後どうなるのか、作戦上、家族にさえ話せなかったそうです。
神風特攻隊の話もですが、こういう話、何度も聞かされて大人になってきました。
かわいそうだとは思うのですが、どこか違う国の、全く違う時代の話として、実はあまり実感できずにいました。
しかしながら大津島に渡り、記念館に行き、館長の話を聞き、「リアリティ」を感じました。
回天で死んだのは自分の国の、いや自分の県で訓練した若者で、年も自分の祖父母ほどの人間であること。
回天というものはわずか直径1mほどの大きさでしかなく、一人乗りで中には小さな豆電球しかないということ。
回天が潜る海はとても黒く緑がかっていて、発射基地は無機質なコンクリートでできていること。
僕が感じた「リアリティ」は当時のリアリティのほんの数%でしかないでしょうが、これは確かに実在したことなのだと強烈に脳に焼き付きました。
どれも行ってみなければわからないことばかり。行ってよかったです。
当時のことを知る人たちは、もう80代後半から90歳になろうとしています。
当時のことを聞くことができるのは僕たちが最後の世代なのかもしれません。僕の仕事は映像を残すことです。
戦争を体験した方々のお話を聞くということ。
さんざんいろいろなテレビでやってきたことかもしれませんが、いまこそそんなことをしなければいけないような気がします。
そういうことも頭に置きながらも、とりあえず今は、この番組を見た方のうち一人でも大津島へ行っていただけると嬉しいです。


ディレクター 松田大輔
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