いやぁ…。休ませていただきました。
仕事のやり方を忘れてしまった気がしますが、はやく元のペースに戻れるよう頑張ります。
今日が実質、GW明けの一日目だったのですが、たまっていた仕事が山積みで、なかなか番組作りにまで手が回りません。
事務作業に忙殺です。
来週の放送が無事作れるのか、今のところ不安しかありません…。
今日は遅くなりましたが、オリジナルの絵はがきを発送しました。
GW前には発送したかったのですが、GW前はもうてんやわんやでしたので…。
結局今になりました。楽しみにされていた方、ごめんなさい。

15名様にプレゼントということでしたが、たくさんのご応募があったので、柴崎さんに頼みこんで、20セットまで増やして対応いたしました。
実は番組の保管用のモノも1セットしかありません。もうギリギリしか作っていない限定のアイテムです。
100年後にはきっとプレミアがついていることでしょう(笑)
当選された方、一度は封筒から出して、ちょっとの間、眺めて下されば幸いです!!
この企画「ポストカード定点撮影」はとても好評だったので、6月ごろに第2弾を放送しようと思います。
現在いろいろ調査を進めていて、とくに小郡大正通り付近の昔の写真や思い出話などを集めています。
もりとん湯田温泉の昔のお話や写真なども引き続き募集中です。
ぜひ番組にご一報をお願い致します。
ここまで打ったらもう疲れてきました。
よし!
明日からはペースを元に戻せるように頑張ろう!
今日ははやく帰って寝ようっと。
ディレクター マツダダイスケ
ゴールデンウィークは当番組のゴールデンコンテンツをお送りします(^^)/
「隧道どうでしょう シーズン4」
県内に残る渋いトンネルを味わい尽くす企画を再編集してお送りします。
今回は2021年の名作シーズン4を3週連続で!
★4月27日(月)~5月3日(日) 「四郎谷隧道」
★5月4日(月)~5月10日(日) 「鷺尾トンネル」

★5月11日(月)~5月17日(日) 「漢陽寺・潮音洞」

どれも名作でして、もしかしたら私の全盛期はこの頃だったのではないだろうか。
とすら思うくらいでございます。
ライバルは過去の自分、2026年も昔の自分にまけないようなものを作りたいものだと思いました。
こないだこの3本を改めて紹介する為、宇部マニさんと長谷川さんと高橋真実さんと久しぶりに集合してきました。
新たな撮りおろし部分もどうぞお楽しみに!
←2026年の3人
私は来週から5月6日までお休みです。
ゆっくりと体を休めて、連休明けには何か面白い企画が思いついていますように。
ディレクター マツダダイスケ
よくわからない話なのですが、おいしい水でカレーを作ろうということになりました。
萩市大井に三明戸湧水というきれいなお水があるんです。
こちらをしょうかいしつつ、番組の後半でカレーを作っております(笑)
今回、まずは長谷川さんに野菜を切ってもらったんですが、まあ、想像通りの結果というか…。
男とか女とか言う時代ではないですが、まあ玉ねぎくらいは切れた方がよいですよね。

今週は2回ロケがありながら、来週からGWに入る関係で24日金曜日までに番組を2本納品しないといけないという激務が待っています。
いや~、GWの休み分の仕事を前倒しして、その前の週に地獄を見るなら、GWのゴールデンって、地獄の辛さにかかっている形容詞なのではないかと疑っております。休み半分でいいから、地獄も半分にしてほしいです(笑)
ということで今週はこれでブログを去ります。
マツダ
おはようございます。
新しい1週間が始まりましたね。
今週はちかば100選の旅です。平成の名水ということで約8年ぶりに萩市大井の阿字雄の滝へ行ってまいりました。

どさけんさんが名水でカレーを食べたいというので、ジャガイモや玉ねぎやニンジン、お肉などを車に詰め込んで。
せっかくの名水もカレーのルーを入れたらカレー味になるだけのような気がするのですが(笑)
滝に行くのはやっぱり楽しいですねー!
久しぶりに滝の映像をお楽しみください!
この滝のお水は飲めませんでしたので、もうひとつの名水スポット「三明戸湧水」は次回の放送で!
ディレクター 松田
表題の放送は日曜日までです。
3回に分けて、計6週間も放送したわけですが、最近の中では断トツで好評で、各所から温かい感想のメッセージを多数頂きました。
視聴者さんや家族友人、職場の人、さらには学芸員の方からも。
広く浅く視聴率を稼げるような題材ではないかもしれませんが、ある特定の人に深く刺さるようなテーマだったと思います。
視聴率を測っていないメディアということが奏功するというのは新たな気づきであったし、他メディアとの差別化という意味でも非常に実りの多い回になりました。
こういう放送回こそ大切にせねばと思った次第でございます。

桑木さんの絵はがきの資料を番組で紹介後、絵はがきの実物を見たいと、わざわざ山口県文書館に足を運ばれた方がいらっしゃったそうです。
テレビを見たことで誰かにそういう行動意欲を起こさせたという一点だけでも、私たちとしては、放送した甲斐があったというものでございます。
改めて関係してくださった皆様、ありがとうございました。

本来は放送したものが私の仕事の全てです。
しかし、これに入りきらなかったものは弊社のアーカイブには残らず、私の頭の中にのみ記録され、これも日々の生活のあれこれにまぎれて、いつのまにやら消えて行ってしまいます。
毎週更新のレギュラー番組という性質上、放送を終えてほっと息をついているとすぐ次の放送日が迫ってきましてね。
もう次の月にはすっかり大切な記憶が抜け落ちてしまうってことの繰り返し。
なんとも言えない残念な気持ちにたびたびなってきたわけです。
そこで、今回は放送には入りきらなかったことを書いても差し支えない範囲で少しこちらに書き留めておこうと。
とりあえず、湯田温泉最後の芸妓・市子さんに行った2時間半のインタビューを文章に起こしました。
お時間が余ってどうしようもない方は、どうぞ(^^)/
◆3月10日取材 湯田温泉最後の芸妓・市子さん 取材
数日前に取材した津山鮮魚店さん(湯田温泉)のご紹介で市子さんという元芸妓さんのご自宅へ伺う。
市子さんは湯田温泉の最後まで芸妓をしていた7人のうちの1人。
湯田温泉には昔は芸者がいたが平成一桁代には「絶滅」した。
戦後の多いときは200人くらいいたらしい。
(※別の資料によると140人との記載もあった)
市子さん=昭和8年11月生まれ。92歳と思えないようなしっかりした語り口調。
ご自宅もきちっとかたずけられていた。
ただカメラは恥ずかしいから声の録音のみということでお話をさせていただいた。

(話:市子さん/聞き手:松田D)
市子さんはバスガイドなどを経て、20歳くらいで芸妓の世界に入った。
これは遅いほうで、通常は中学校卒業後15歳から16歳で置屋に入るのが一般的。
舞妓さん、仕込みさんというところからスタートする。
置屋(おけや)さんは湯田にたくさんあった。今でもその名残がある。
そこに住み込みで暮らし、芸を磨いたりいろいろなことを学ぶ。

置屋の規模もまちまちで、芸者が1人しかいない所もあれば10人くらい抱えているところもあった。
市子さんは三井という置屋。
「三井席の市子」という呼ばれ方をする。
今も京都や東京の新橋などで見られる「芸者の文化」がかつては湯田でもあった。
ただしそこまでの仰々しくはなかった。
「温泉芸者」といわれ、少し下に見られることもあった。

仕事は宴席で歌や踊りを披露し、お客さんに酌をして話し相手になる事。
団体客には団体客の、個人客には個人客の対応があり、話す内容も相手によって変えていた。
なのでいろんな話題に精通している必要があった。
お座敷では絶対にものを食べてはいけなかった。
質の悪い芸妓や、ずっと後の時代、宴席に入ったコンパニオンが客の物を食べていたの見て驚いた。

いろんな偉い方とも接した。政治家で偉そうにしている人はあまりいなかった。
岸信介さんも旧山中の同窓会などで来られた時には懇意にして下さった。
坂倉新兵衛さん・松林桂月さんなどにはよく呼ばれた。ちとせ旅館などに。
お昼から来られてただそこにいてくれるだけでよいという感じ。
ちとせ旅館もだが、いろんな旅館に”おごうさん”という格の違う女将さんがいた。 
置屋さんから踊りや三味線の先生に習いに行く。踊りの先生は花柳さんという人。
若いときは毎日。それがめんどくさかった(笑)
ただ稽古をやらないと急にやれと言われてもできない。
できるようにしとかないとプライドが許さない(笑)
踊りや唄(長唄)ができてから三味線というような流れ。
若いときは三味線まで行くというのはそんなにいない。
稽古はそんなに厳しいものではなかった。京都みたいなきちっとした感じではなかった。
ただ何もできないと舐められるのでやっていた。

遊郭が廃止になった後(昭和30年代)、そっちから流れてきた芸妓もあった。
それは九州などの人が多かった。
踊りや三味線などの芸事が出来なくても大丈夫だった。
よほどの不器量でない限り着物を着て話し相手が務まれば場はもつから。
それほど湯田温泉のお客さんはとても多かった。
最初のころはお正月などは日本髪を結って貰っていた。
次第に日本髪風のカツラになった。市子さんは福岡でカツラを作った。
普段は洋髪を毎日近所で結って貰っていた。

湯田検番という置屋が集まってできた事務所みたいなものがあった。
そこに事務員が2~3人詰めている。
壁に芸妓の名前の書かれた木の板がずらーと並んでいた。
表面には黒字、これは在席。ひっくり返した裏面は赤字、つまり接客中で不在という意味。
現在の居酒屋があるところにあった。2階建てだった。
月に一回芸妓を集めて総合稽古があった。
市子さんは20代で一度辞めていたが、友人の勧めで35,36歳(昭和43年頃)で再び芸妓の世界に戻った。
この頃から次第に芸者が必要とされなくなってきて、宿が団体客の食事の時間に芸妓の踊りを提供。
それが仕事のメインになっていった。
最終的には踊りでまわっていた。

昭和57年に湯田検番がなくなって最後に芸妓を集めてお別れ会をした。
(写真を撮ったんだけど見つからない)
その後、各々でやるのは非効率なので、希望者をつのって自主営業を始めた。
大きなお姐さんを代表に据えて、事務員さんを一人雇い、芸妓から会費をあつめて事務員の給料にあてた。
しばらくは頑張って続けたが30年前くらいに辞めたと思う。
60歳くらい(平成7年ごろ?) 最後は7人くらいだった。
お客さんからそんなにお金をもらえないし、事務所の家賃も払えなくなるし…

大変だったことは今思い出せない。でも泣いたりすることはなかった。
自分は年上のお姐さんにずいぶんかわいがってもらった。

自分が働き始めた時代(昭和28年ごろ)は、まだ家の借金を返すために置屋に来る人がいた。
炭鉱がつぶれたとか、そういう訳アリで借金返済までやめられない人もいた。
繁盛していた時代は2席を掛け持ちしたこともある。
ちょっと別の場所に行ってくると言って中座していた。
市子という名前は京都の芸者の市子さん(=雑誌の表紙に載った人)にあこがれてつけた。
置屋のおかあさんも賛成してくれた。
〇〇子という芸妓は珍しかった。○○奴とかそういうのはいたけど。
◆大正時代の絵はがきを見てもらった

ここは野原旅館。壺湯とかがあった。懐かしいねぇ。
よくここにお風呂を入りに行った。千人湯があったけどこっちのほうが近かったから。
これは自分の毛を結ってるね。カツラではない。
普段着でしょ。帯がお太鼓ではないからわかる。
桶を持ってるし、これは芸者さんがお風呂に行って帰るところであろう。
髪は油でべとべと。普通のシャンプーじゃ落ちないので専門の「くろんぼ」というので洗っていた。
置屋には不思議とお風呂がなかった。湯田だからかもしれないがみんな外にお風呂に行ってた。
検番の前に輪タク屋があって3台あった。芸者は2人乗れる。
おじさんが自転車をこいで連れて行ってくれる。
今でいう人力車に自転車を付けたようなもので安定感があった。
松田屋まで歩いて行くようなことはなかった。
末期は輪タクもなかったから歩いて行ったけど。

芸妓というのは場の潤滑油。
最初は緊張するけど、お酒の力で場が和み芸者が盛り上げる。
緊張もあったが、やりがいがあった。
でも若いときは怖かったし辛かった。
ただきれいな着物を着られるのが嬉しかった。借金だったけど。
一回だけ湯田検番の中で売り上げが一番になったことがあった。
嬉しかった。

芸も三味線も自分よりも優れている人がいたので、よく本を読んで話題に事欠かないような芸者を目指した。
フランスの小話とかの本を読んだ。
若いお客さんは必ず緊張してる。
男はやっぱり45~6からよね。
一番面白い時期は50前後。面白い話もしてくれるし。
逆に芸者を笑わせてくれる。
(…ほか雑談などあって終わり:編集:松田)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今回の聞き取りで、自分が生きていない時代のほんの少しばかりの空気感を味わうことができました。
芸妓さんという職業上、なかなかお話ができないようなこともあったと思いますが、2時間半の長時間にわたり私のばかばかしい質問に真正面から答えてくださいました。
こういう取材メモというのもきっと誰かの、(あるいは未来の誰かの)お役に立てるような気がしています。
市子さんが芸妓の仕事に誇りをもって打ち込んだように、私たちも地元に暮らしていた人々の息遣い、生きてきたあかしの一端をご紹介できるようまじめに頑張ろうと思った次第でございます。
長文失礼をいたしました。
次週より、名水でカレーライスをつくるという企画がはじまります。
どうぞこちらはこちらでお楽しみを!
ディレクター マツダダイスケ

現在放送中の「ポストカード定点撮影」では視聴者プレゼントを実施しています!
今回紹介した古~い絵はがきを見て、同じアングルで撮影した「令和版山口名勝絵葉書」です。
先日ほぼほぼアウトラインが出来上がりましたのでイメージ画像を乗っけときますね。
オリジナルの封筒に6枚組の絵葉書が入っています。

今回ご紹介した6枚の絵葉書の現在地点の写真をモノクロチックに仕上げました。
放送でご紹介した通り、できる限り当時の絵はがきに近づけたアングルで撮影しました。
紙質は艶消しの絹目の素敵な手触りでございます(^^)/
裏面には今昔が比較できるように当時の絵はがきをつけています。
ぜひ見比べてみてください。
その昔、写真映えしていた場所がどのような変化をとげているか。
時代の変化におどろかされます。
昔の競馬場があった場所の写真とか、湯田温泉株式会社があった場所の写真とか、これだけ見たら全く意味の分からない写真になっていますからね(笑)
今回の番組の調査で明らかになったメモも付け加えているので、100年後の人が見ても、歴史の経過を理解してもらえるのではないかと期待しています。

来週の月曜日が締め切りですので、ご応募がまだの方はどしどしお申し込みくださいませ。
抽選で15名様にプレゼントいたします。
この企画が続けば、第2弾の絵はがきも作ろうかなと画策中です!
どうぞ宜しくお願い致します!
また、今回の企画の編集追記をまた改めてアップします。
ディレクター マツダダイスケ
もうすぐ4月を迎え、いろいろと身の回りに変化がございますね。
他局ですが、先週の土曜日には「ちぐまや家族plus」が最終回を迎え、沖永さんとどさけんさんが有終の美を飾っていらっしゃいました。
特に沖永さんは21年もの長きにわたり、番組の屋台骨を支え、ひいては県内のテレビを盛り上げてこられました。
本当にすばらしいことです。
当事者ではない私からすれば、何かしらの賞とか盾とかメダルとか送って差し上げたい。
まあ次にお会いした時にいろいろとお疲れさまでしたとお伝えしたいと思っています。
(写真と本文は関係なし)
そして、どさけんさんは3月末で長らく所属されていた吉本興業を退所され、4月からはフリータレント(フリーの芸人)として山口県で活動されることになりました。
芸人という職業に馴染みのなかった山口県に来て活躍し、後輩の芸人が活躍できる土壌を耕し、私生活では家族まで見つけての新たな再出発。
当番組との関わり合いはまったくいままでのまま。せいぜい請求書の送り先が変わるなーくらいのもんですが、きっと新たなどさけんさんの姿を見せてくれることでしょう!
(写真と本文は関係なし)
まったく微力なのが心苦しいのですが、どさけんさん、沖永さんの新たなスタートを陰ながら応援したいと思っております。
そんなにんげんのGO!は放送時間の変更もなし。メンバーチェンジもなし。新入社員もなし。
何も変わらない14年目に突入いたします。どうぞ変わらぬお付き合いを。
(私たちの番組も長寿番組になりました)

今回は引き続き「ポストカード定点撮影」をお送りしています。
湯田温泉編の最終回です。なかなか面白いと思います。
私、家でも見ましたもん。ほんでオモローとつぶやきましたもん。
自分で編集したのにね(笑)

特に現在のユウベルホテル松政にあった「湯田温泉株式会社」

そして湯田の某所に合った「湯田競馬場」。

この調査をここ数ヶ月ずっと続けていました。
ようやく今週の放送で皆さんにお伝えできるかと思うとうれしくてうれしくて。
ぜひ放送を御覧になっていただきたいと思います。
今日はブログをこれくらいで引き上げますが、また必ず詳しいお話をこちらで紹介しようと思います。
◆取り急ぎプレゼントのお知らせから。
「番組特製 湯田温泉の令和版絵はがき6枚 セット」を15名様に
①「令和の錦川通り」
②「令和の元湯通り」
…みたいなのを絵はがきに加工します。ほか4枚。
番組で調査した6枚の絵葉書を現在のアングルで撮影したものをセットにしたものをお送りします。
デザインや紙の質にもう少しこだわって、できるだけかっこよく仕上げて、表面には旧版の絵はがきも比較できるよう印刷しようと思います。
完成までもうしばしお待ちくださいませ
(編集と調査で手いっぱいでプレゼントまで手が回らなかった…。ごめんなさい。)
風景がかわり、現在ではあまり絵葉書らしくない写真になるかもしれませんが、それを時代の流れというんだと私は思っています(^^)/
そんな渋い写真を楽しんでもらえると嬉しいです。
上記のメールフォームもしくはハガキ・ファックスでお申し込みください。
番組の感想や絵はがき情報などもお待ちしております。
どさけんさんがフリーになり、沖永さんの土曜日が空いたということはチャンス!
どんどん新しいことにチャレンジしていきたいと思います!!!
にんげんのGO!ディレクター兼絵葉書コレクター マツダダイスケ
番組は2週間ぶりの更新です。
今回の企画は調べモノが多く、とても1週間では時間が足りませんでした。
ご了承くださいm(__)m

内容は前回お伝えした通り。
過去の絵葉書の現在地点を探るという企画です。
どさけんさんも沖永さんも山口市には詳しいんですが、そうはいってもここ10年~30年のお話。
われわれは60年~100年前を探ろうとしているんですからそれはもう荒唐無稽なお話なのであります。
そして企画を立てた私でさえ、答えが見つかったから走り出したわけではなく、まあ調べながら、人に聞きながら、資料にあたりながら、分かったことだけを放送すればよいだろうと考えていました。
ほんで、結局分からなかったら「分からなくてごめんなさい」と言おうと、そんな感じでいたのです。
ですがねぇ、いろんな人に話を聞いて聞いて聞きまくっていると、うすぼんやりと100年前のお話が見えてくるのです。100年前が分かれば、そこから80年前、60年前と現代に近づいてきましてね…。
もう20年前なんて昨日のような錯覚に陥ってしまいます。
今回のロケでは西の雅常盤さんに伺い 6枚の絵葉書についてお話を聞きました。
全てについてコメントを貰いましたが、今回の放送ではその中から以下の2枚について、解決編まで放送枠内に入りました。
(湯田競馬場・湯田温泉株式会社・松田屋旅館・旧ポプラ付近は次回以降の放送になります)
◆今回のメインの2枚の絵葉書

↑昭和40年代ごろの絵葉書

↑大正時代の絵葉書
◆キーワードは「錦川」「東京庵」「芸者さん」
錦川は昭和45年に河川改修で暗渠化されました。
たびたび洪水があり周囲のお店は苦労をされていたそうで、以降大雨の日も心配が不要になりました。
一方で川べりにあった桜や柳の木がとても風流で、川が暗渠化されたことで情緒がなくなったという声もいろんな方がお話してくださいました。

錦川通りと元湯通りの角にあった東京庵。この景色はとても私も覚えていました。
遡ればここは長州藩の「臨野堂」という施設があった場所。
隣には野原温泉もあり、湯田温泉のメインは錦川の通っていたこのあたりだったと言われています。
そんな場所で大正13年に創業されたお蕎麦屋さんが東京庵。
もう100年以上の歴史があるわけ。
現在は5代目の信明さんが瑠璃光寺の近くで営業をされています。
今回東京庵の歴史を聞くために、お店に伺いましたが、店主は名刺を渡すと私の顔をジロジロと見てこられました。
実は店主の信明さんは私の高校の同級生(笑)
私は高校時代、彼が東京庵の跡取りだとうっすら聞いていた記憶があったのですが、まさかこんなに立派になられているなんて!
そして私のことを覚えてくれていたことがとてもうれしかったです。
取材はお断りしようとされていたそうですが、同級生のよしみでいろいろとお話をさせていただくことができました。
私は本当に恵まれているなぁとこの日強く思いました。
東京庵がなぜ東京庵という名前なのか、そして蕎麦屋の前はどうだったのか。放送をご覧ください。
そして「芸者さん」
古い湯田温泉の写真をしらべるといろんなところに写っています。
それもそのはずで戦後の全盛期には湯田に140人いたという話です
(200人という話もあり)
芸者さん、正しくは「芸妓」というそう。
湯田にあるいろんな旅館の宴席に呼ばれ、踊りや三味線を披露し、その後お酌をしたりお話し相手になったりするのがお仕事。
そういえば「芸者をあげての大騒ぎ」…みたいな言葉をちょっと前まではよく耳にしましたよね。
今では慣用句みたいな感じになっているほど、湯田でそのような文化は消えてしまいました。
芸妓さんは「置屋」という場所で住み込みで暮らします。
ここから踊りや三味線を習いに行き、芸を磨いたそうです。
複数の「置屋」は「検番」という組織(組合的なもの)をつくり、芸妓を宴会に呼びたい客や旅館はこの検番へ連絡をします。
そして検番から置屋へ連絡が入り、芸妓さんは「輪タク」という自転車タクシーで宴席へ出かけて行ったそうです。
「置屋」にはなぜか風呂がなく、日々湯田の温泉に入りに行ったそう。「野原温泉」や「千人風呂」です。
昼間の写真によく芸者さんが写っているのはそういう日常の風景の一コマが、歩く人の目を楽しませたに他なりません。
なんて素敵な空間だったのでしょう。
そんな芸妓さん、湯田の検番が昭和57年に廃止されたのち、平成8年ごろにはほとんどいなくなったそうです。
最後までされていたのは6~7人だったそう。
今から30年くらい前に”絶滅”した湯田温泉の芸妓の世界を調べようと、いろいろと当たっていると、最後の芸者とされている市子さんという方にお話を聞く機会に恵まれました。
現在92歳ですが、本当にお元気で当時のことをよく覚えていらっしゃいました。

お顔は恥ずかしいのでお声だけですが、貴重なお話を伺うことができました。
当初、企画を始めた時にまさかこんな感じになるなんて全く想定していないことでした。
本当に出会いに感謝でございます。
放送に入りきらなかった音声は、きっと何かしらの研究に役立つような気がしていますので、いつかどこかで公開したいとおもっています。
…てな具合で、いつもの放送以上に今回は内容が充実をしています。
このほかにも湯田温泉旅館協同組合さんや文書館・図書館はじめ、山口市菜香亭、そのほか湯田温泉のいろいろなお店・旅館、関係者の方に話を伺いました。
まだシリーズは続きますが、一旦感謝を述べなければ私ダメ人間です。ありがとうございました。
次回はまた2週間後ですが、調べモノはまだまだ続いています。
皆さんからの温かいメッセージや感想、あるいは湯田温泉にまつわる情報や思い出話など、番組にお寄せください。
ディレクター 松田大輔
3月になりましたね。時のはやさよ…。
今回から(多分)3回シリーズで放送する「ポストカード定点撮影」。
昔の絵はがきを題材に、現在の場所を特定してこれまでの歴史を紹介しようという内容です。
なお、初めにお伝えしますが、このシリーズは調査などに時間がかかるので隔週更新とさせてください。
ですので次回の放送は3月16日(月)です

出演者を伴うロケ自体は昨年の11月に終えたものの、その後、調査や資料集めなどに時間がかかり、ようやく放送できそうという感じまでこぎつけました。

この企画のはじまりは、山口県文書館で見つけた「桑木正道収集史料」がきっかけでした。
山口県の古い絵葉書を1200枚以上をコレクションしたもので、これがあまりに素晴らしいものでして…。
この資料を番組ぜひ使わせていただければと思い機会をうかがっておりました

するとひょんなことから、この資料の収集者の桑木さんはハッセ―のお知り合いだということを知って、もうこれは運命だと。
もう導かれるように企画をするに至ったのであります😊
人のつながりに感謝感謝なのであります。
長谷川さんと桑木さんは郵趣協会でつながりがあったそうです。
風景印の企画をルーツにしている番組としてはもう出会うべくして出会ったのだと思っています。
今回はこちらの6枚の絵葉書をテーマにいたしました。
テーマは湯田温泉にいたしました。

①(昭和40~50年代以降でしょうか)

②(昭和40年ごろか?)

③(大正時代)

⓸(昭和10年ごろ)

⑤(昭和はじめ)

⑥(大正時代)
皆様も何かご存じのことなどがありましたら番組宛に情報をくださいませ!!!
いろんな人にお話をお聞きしたいので、些細なことでもよいのでご連絡をお待ちしています(涙)
この文章を書いている今も 次週以降の調査や撮影があるので、プレゼントの送付やちかばカードのリクエストにお答えできずにいますが、今週中には対応いたします。どうぞ宜しくお願い致します。
ではでは簡単ではありますが、一旦失礼します。
マツダダイスケ
おはようございます!寒いのかあったかいのかわかりませぬな。
皆様もお風邪などを召されないように…。
◆さてさて、昨日は午後から山口市民会館にウルフルズのライブに行ってきました。
実は私、大学生の時にも、同じ場所でウルフルズのライブに行ったことがありましてね。
なのでたぶん25年ぶりくらいぶりに生で見たウルフルズ。
相変わらずトークも面白く歌も上手。最高だったなー!!
メンバーはもう還暦になられたんですって!
25年前に比べて派手さはなくとも、大人の雰囲気が醸成されたすごくかっこいいライブでした。
ライブから一夜明けて思うのはあの時から25年というという恐るべき事実。
場所もミュージシャンも同じ。
「バンザイ」も「ガッツだぜ」もあの時も今回も歌ってた!
なのになんだかウルフルズに大きな変化・アップデートを感じたんですよねー。
これが25年、四半世紀という時間なのかーと思ったわけ。
当たり前ですが私にも同じように25年という月日が流れています。
ウルフルズがいろいろとパワーアップをし、アップデートを重ねてきたように私はできているのだろうか。
増えたのは体重だけだということになっていないよう祈るばかりでございます。
◆そしてもうひとつ雑談。
福岡発のある人気バラエティ番組のディレクターさんがこの春で番組を辞められるというニュースを見ました。
15年間ずっと同じ番組を担当されていました。
体調面の不安、そして新たなステージに進みたいとの気持ちから、今回そのような決断をされたとのことです。
比べるのもおこがましいのですが、私もローカルの長寿バラエティ番組担当…と、多少似たような境遇にいるんです。
勝手に親近感を抱き、番組の作り方や演出方法などを参考にし、こっそり尊敬していた方だったので少々動揺しました。
(しつこいようですが比べるのもおこがましいのですが)「本当にお疲れさまでした!」とお伝えしたい。
これからどのようなお仕事を去れるのかとても気になっています。
…てな具合に、年を取るとこういう出来事につい感傷的になり、時の流れをふと感じるものでございます。
私もあと何年 同じペースで仕事ができるかわかりませんが、この一瞬を大切に、視聴者の皆様の心のどこかに残る番組作りに精をだそうと思いました。
◆でここから本題の番組の話。
前回の続きですね。県政資料館の東側にある「旧県会議事堂」をメインにお送りしています。

前段に文章書きすぎて疲れちゃったので、もうブログはここらへんでいいですよね…。
今回も面白く役立つお話も利だくさんなのでぜひ見てください!
あひるたびと宇部マニABCもありますよー!!!
◆ほんで、ちょっと前にお話ししましたが、今回はちかばカードの発行はありません。
ごめんなさい(涙)
よ、予算が…。
これからも発行の頻度が下がると思いますが、また時期を見て発行した時にはお知らせします!
実はカードの応募の時にみなさんから頂くメッセージが私のモチベーションを維持する燃料だったので、これが減ることが実は一番の悩みでして…。いっそ自腹でちかばカードを作ろうかとすら思うくらい(笑)
お時間あるときなど、番組や出演者へのメッセージは随時募集しているので、どうぞお願いしますm(__)m
次回の放送は3月2日です。
新企画を放送するのですが、こちらの編集、力が入っています。

編集と調査など、老体に鞭を売って鋭意努力中です!
ご期待ください
ディレクター マツダダイスケ
Copyright © 2013 yamaguchi cable vision All Rights Reserved.