雑談・舟を編むというドラマが好き。
08月13日
お盆休み前に予約投稿をしています。
ふふふ。そんな技がブログにはあるのだ。
「舟を編む」というドラマをNHKでやってまして、これが今、刺さりまくっていましてね。
(昔の再放送みたいですが、毎週楽しみに見ています。)
辞書を作る人たちの物語なんですけど、もう素晴らしいのです。
だから、何の関係もないけど、ここに感想を書きたいのです。ごめんなさい。
出版社の中の小さな部署「辞書編集部」のお話。
その部署で辞書作りに奮闘している人々が描かれています。
辞書には何万語っていう言葉が掲載されていますよね。
よく考えれば当たり前なのですが、その一つ一つが熟慮を重ねてその説明文ができています。
誰かがそういう仕事をしていたことにまず気づかせてもらいました。ありがとうございます。
言葉は常に変わっているので、編集部の人は街を歩いていて知らない言葉に出会うと、用紙にメモを取ります。
「ワンチャン」とか「えぐい」とか「やばい」とか、自分の小さい頃には使わなかったり、意味が違っているものも多いですよね。
言葉は常に生きているのです。
このドラマを見て感じることは「言葉を大切にすること」の大切さ。
言葉を使って番組をつくるもののはしくれとして、私も感じるところがいろいろとありました。
テーマを考えさせられたり、出演者に感情移入しちゃうわ、もう見るのに結構カロリーつかう楽しんどいドラマなわけです。
(自分が元気じゃないと見れないわと思いました。逆説的に今私は元気だということです。)
このドラマのエピソードで印象的だったのが「~なんて」に関するお話です。
主人公の女性が「~なんて」という言葉を知らず知らずに使って、周りを傷つけちゃうのです。
「ごめん、ご飯をたべてる時間なんてないんです」
「電話をする余裕なんてないから」
「言葉が並んでるだけですよね、辞書なんて」
「カメラの話なんてあとにして」
…てな具合で「なんて」を多用することで、女性は周りの人を傷つけてしまいます。
その女性はそのことに気づいて、ふと辞書で「なんて」を調べるわけです。
「なんて」にはこんな意味がありました。
【副助詞】次に来る動作を・内容を軽視する気持ちを込めて例示する
【副詞】軽視する気持ちを込めて同格の関係で次の語を修飾する
【副助詞】無視または軽視する気持ちを込めて事柄を例示する
知らず知らずに周りのモノや人を軽視し、傷つけていたと気づくのです。
そんなつもりはないのに…。
言葉に無頓着ということが実はいかに罪なことであるか、辞書を通じて理解をするというエピソードですした。
もう、自己反省です。
私もきっとこういう言葉を使っていたはず…。
また自分の番組のことも「ケーブルテレビなんて」とか「ローカルなんて」みたいな自虐としても使うこともありました。
こういうのはやめよう!そう思いました。
…ここまでは視聴者として。
同時に映像の仕事をしているものとしての感想としては、ドラマの製作者に対しては嫉妬と尊敬が入り混じった気持ちです。
映像を通じて人の気持ちを動かせることのすばらしさ、テーマ・設定の妙。
そういうところに尊敬・あこがれの一心でございます。
自分もがんばろう!と主人公の女性・池田エライザのように思うわけでございました。
今回もつたない言葉の羅列になりましたが、そんなことを思いましたというご報告でした。
では、よいお盆休みを!!
ディレクター 松田