隧道調査奮闘記
05月07日
今日から通常運転です。頑張ろうと思います。
…がすでに休みが恋しい💦
GW中から放送中の隧道どうでしょう「旧小津見第二隧道」の隧道カードが予定よりも早く届きましたので、弊社1階の編集室前にて配布スタート致します。
お近くの方は取りに来てくださいな!
遠くの方は上記のメールフォームからご応募くださいな!
週明けに前回のカードとともに送付いたします。
今日は少しスケジュールに余裕があるので、今回の隧道調査について裏話というか、エピソードというか、愚痴というか(笑)
調査した量に対して、放送内に組み込めた分量が少なく、こちらで発散をさせようというお話でございます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
番組が誇る優秀な情報屋・柴崎友宏さんからこの隧道の話が持ち込まれたのはずいぶんと前の話。
一昨年の話です
お手持ちのiPadで地図を示しながら、山陰本線の列車から入り口が見える古いトンネルがあると教えてくれました。
場所は下関市の響灘沿い。
現場を実際に確認したいと思いましたが、私も時間がなかったので”次に行く隧道リスト”に入れたまま、長らく放っておいたわけでございます。
時は流れ昨年の夏。
再度柴崎さんから 宮野で拱橋を見つけたという新たな情報を頂き、それなら今度ロケで下関の例の隧道と2つ巡りましょうと。
出演者のスケジュールなどを調整してロケ日は2024年の11月7日に決定。
ロケの日には小郡文化資料館で企画展を見た後、宮野の拱橋、そして下関の例の隧道へいくことにしました。
ロケの前に進行の高橋真実さんに情報を入れとく必要があるので、最低限の情報収集をすることに。
そもそも柴崎さんが見つけたってだけで、この隧道、この時点で名前も何もわからなかったのです。
(←ロケ用の高橋メモ)
まずネットで検索をかけました。
数件ですが情報があがっていました。
いやはや凄い時代ですねー…。
ネット情報によると、まずこの区間は現在の山陰本線。隧道はおそらく「長州鉄道」時代のものであること。
隧道の名前も「小津見隧道」という名前が有力である事がわかりました。
ここで問題になるのがこの「小津見」の読み方です。
どの資料にもフリガナがなく、「小津見」を何と読むのが正しいのかわかりません。
「こづみ?」「こつみ?」「おづみ?」「おつみ?」あるいはそのいずれでもないのか?
これではロケの時にどのように発音すればよいのかわかりません。
ロケ前日。
お隣の市立図書館を訪ねることにしました。
鉄道の本や、下関市の市史などを調べましたが、もちろん求める情報はそんなに簡単に見つかりませんでした。
マニアックな企画をしているのですから当然の報いです(涙)
無理を承知で司書さん(※学芸員さんを訂正…長岡さんご指摘ありがとうございましたm(__)m)に尋ねました。
「長州鉄道時代のトンネルの名前を調べていますが、読み方がわかりません。」と。
ひどい質問にも関わらず皆さんとても親切。
数人の司書さんがいろんな方法から調査をしてくれました。
ある人は地名用語辞典から「小津見」を調べてくれました。ですがあまりにも細かい字名なのか辞典には載っていませんでした。
ある人は「長州鉄道」から調べ始められましたが、そもそもこの長州鉄道の記事自体が少なく、もちろん隧道に関する記述は無し。
諦めかけたその時!
ある司書さんが国立国会図書館の検索システムをつかい膨大な資料の中から、とある本のとある一節を見つけたのです。
1986年に小学館が発行した「日本の鉄道名所・勾配・曲線の旅」という本の71コマ目
確かに小津見に(こづみ)というルビがふってありました。
思わず私たちは「やったぞー!」と声を上げました。ロケットが打ち上がったときの技術者のように。
本の内容もかなりマニアック。
日本全国津々浦々の鉄道路線の勾配を網羅したというマジでやばい本です。
この本を作った人にまずびっくり。
そしてこの本の中のわずか1行にまで検索が行き届くという技術の進歩に感動。
もちろん司書さんの調査能力と協力体制には感謝するばかりでございました。
私たちの世界、森羅万象、どんな細かいことも調べればわかっちゃうのかもしれません。
ただこの本は全国版の本であるため、読み方にどれほどの正確性があるかどうかは一旦置くとしても、とりあえず喫緊に迫ったロケの段階では「こづみ」で行くことにしたのです。
そして迎えたロケの日(11月7日)
ロケは極めて順調でした。
小郡文化資料館で勉強し、一つ目の宮野の拱橋も高橋さんの自作ソングで盛り上がり、下関の例の隧道も探検気分で良いものが撮れました。
宇部マニさんは興奮し、トンネルに興味のないどさけんさんも良い反応でした。
ロケが終わった後響灘に沈む夕日がとても美しく感動しました。
そして時間は今年の4月まで飛びます。
うちの番組はストックが多いため、撮影してもしばらく期間があく場合があります。
この頃から番組の編集と並行して、最終的な隧道の調査へと入ることにしました。
この後の流れをざっくりと。
①小郡文化資料館で長州鉄道の資料を調査。
小郡町長の秋本春三さんが昔、長州鉄道の技術者として働いていたことから資料が残り、県の文化財にもなっています
小津見隧道の文字を資料で初めて確認
②山口県文書館と県立図書館で調査
関係する資料にあたる。いくつかいい感じの資料に出会う。
当時は第一隧道と第二隧道の名称が逆であることがわかる。
のちに山陰本線が全通し起点が逆転したためであろうと長谷川さんが言う。
③現地に再訪し、地元の方の聞き込み調査
(場所は知っているものの、有力な証言は得られず)
④旧豊浦町の各施設(豊浦図書館 はまゆう図書館 烏山民俗資料館)で調査
旧地域史誌に隧道の記述あり。古宿隧道とよばれていたことも判明。
古宿というのはあの周辺の地名で(こじゅく)ではなく(こずく)と読むのが正しいらしい
⑤吉見公民館の図書室で鉄道開通時小学生だった古老(明治40年生)の手記を見つける。
当時の雰囲気をつかむのに大変役に立つ。鉄道が敷かれた年とあの辺りに電気が通った時期は同じとのこと。
昭和57年に75歳だった地元の方が残した手記で、長州鉄道のエピソードも結構出てきた。
⑥周囲を歩いているときに踏切名に「おつみ」の文字を発見。
ここまで「こづみ」としていた読み方だが、より信ぴょう性の高い「おつみ」に変更し、編集を進める。
⑦ ①~⑥の資料を元にして編集作業を始める。
勇んで書き始めたこのブログでしたが、途中から書くのが面倒くさくなっちゃたのでだいぶ省略しましたが、ともかく調べれば調べるほど様々なことがわかりました。
線形が変更した年代の確定など、放送までに間に合わない所もありましたが、今回はこの辺でタイムアップ…。
番組作りというよりは資料探しというか、今回はいつもとかなり違うアドレナリンが出て貴重な体験をさせていただきました。
これもすべて、情報屋柴崎さんが列車に乗っていた時に窓の外を眺めていてくれたおかげ。
人生とは出会いと研究の繰り返しなのでございます。
今回の調査で2度も通った下関市のラーメン楽さんが「とてもおいしかった」ということで今回の最後の報告にして今回のブログを閉めたいと思います。
今週の日曜日まで放送してますので、ぜひご覧くださいませ~!!
ディレクター 松田